第2回.タイに行くまで

2次試験に合格してから上司に相談したら、快く賛成してくれました。そうでなくてもうちの会社は給料が安いことで有名で、「結婚するなら、嫁さんは学校の先生か看護婦に限る」ということが、半ば本気で伝えられていたくらいです。賛成はしてもらえたものの、引継ぎをどうするかが頭の痛い問題でした。課内で話し合った結果、私が持っていたシステムをバラバラに1人ずつ残った人に割り当てることになりました。社員規模が60人程度の小さな会社だった上に、担当していたのが主にパソコン系のシステムだったため、ほとんどの仕事は1人で担当していました。ヒトゴトながら、社員の誰かが死んだりしたら、いったいどうやってシステムをメンテナンスしてゆくのでしょうか?

結局会社をやめるのに半年もかかってしまい、次の国内訓練(年に3回行われます)の開始を1回遅らせてもらいました。もちろん休職参加も可能で、協力隊事務局もそれを推奨しているのですが、残念ながら休職を認めてくれるのは、公務員を除けばNTTやKDDなどごく一部の企業だけです。こういった現状では、日本でボランティアに参加するには勇気がいりますね。

あちこちに挨拶周りをして、いざ駒ヶ根の訓練所に入所しました。当時訓練所は、東京の広尾と長野県駒ヶ根市の2個所でした(現在は福島県の二本松というところにもできています)。国内訓練はおよそ3ケ月間行われ、基礎体力の増強や任国事情の勉強、サバイバル訓練?なども行われますが、何といってもメインは語学です。訓練所に入っている間は新聞やテレビも見れないので、ほとんど外国にいるようなものです。

訓練所の毎日は、毎朝のマラソンから始まります。走ることが大の苦手(特に寒い時に走ると動悸が治まりません。子供の時の小児喘息の影響でしょうか?タバコも(^_^);)だった私ですが、これをやらないと卒業できないのでなんとかこなしました。食事は栄養も量も満点です。もともと食が細かったのですが、退所時はなんとかどんぶり一杯くらいは食べられるようになっていました。ほとんどの人が太って帰ります。食事も食習慣も異なった途上国で2年間やらないといけないのですから、半健康人もかなり普通の人に近づくことができました(今では元に戻ってしまいましたが(^_^);)。

メインの語学には、全然苦労しませんでした。暗記は苦手ですが、もともと語学が好きだったので、基本の理屈を理解してしまえば、応用は難しくありません。訓練所にはタイ人の語学教師がいました。彼女はもうおばあさんといった感じの人でしたが、アメリカで25年、日本で10年タイ語を教えていた筋金入りの国際人で、私は結局彼女の日本語を最後まで聞く機会がありませんでした。授業中は日本語は原則禁止なのですが、生徒は皆英語もろくにしゃべれないので、どうしても日本語でお互いに説明しあったり愚痴を言ったりすることも多々ありました。その際、彼女は私たちの日本語をほとんど理解していた(そしてわからないふりをしていた)ようなので、空恐ろしい方でした。

タイ語は活用が全く無く(中国語も同じ?)、単語さえ並べれば楽に会話ができます。「私は行く」も「私は行くつもり」も「私は行った」も全部同じ。時制は文脈で判断するしかありません。単語1つ1つの発音は、慣れない人には大変難しいです。1つの単語は基本的に非常に短いのですが、声調が5つあり、音の高低で意味が全然違ってしまいます。普通の人は、何か聞きたい時や、言葉に自信がないとき(の確認のために)語尾が上がってしまいますが、タイ語(および中国語などの系統)では、別の意味に取られてしまいますので、初学の際はこれが一番困ります。特に、関西の人はダメみたいですね。東京に行ったら東京なまりで話せる人はそうでもないですが、一般的に関西人は関西弁に誇りを持ってますので(私も関西弁は大好きです)、日本全国どこへいっても関西弁をしゃべる傾向がありますが、この法則により、「関西なまりのタイ語」という得体の知れないものができあがります。先生は、私たちの語彙やシチュエーションを把握しており、外人と話すことにも慣れているのでいるので、それでも(想像しながら)理解していたようでしたが、生徒の中にも感の悪い人というのはいるもので、生徒同士おたがいに首をひねっていたものでした。タイ語については、余裕ができたら別のページで講座を開こうと思っているので、興味がある方は楽しみにしておいてください。

訓練所で行われていた語学訓練は、タイ語のほかに英語、フランス語、スペイン語、ネパール語、ベンガル語(バングラデシュ)、シンハラ語(スリランカ)などがあり、それぞれネイティブの講師が教えていました。タイ語などに比べると、英語やフランス語は親しみやすく、華やか?でいいな〜と思っていましたが、事情を聞いてみるととんでもない。たとえば、モロッコ(北アフリカ)へ派遣される人は、基本的にはフランス語を勉強しますが、これが現地で通じるわけではありません。まず現地語学訓練としてフランスへ行き、「フランス語でアラビア語を教える学校」に入って、現地で使われるアラビア語を習得する必要があるのです。他にも、フィリピンや中国など、部族ごとに言葉が違う国も珍しくありません(というか、これが大多数なのでしょう)。タイは日本と同じく「1国1言語」という「特殊な」環境で、他の国に行く人に比べれば我々タイ派遣組は幸せだったかもしれません。そういえば、ベンガル語組からは2名ほど、卒業試験に合格せず、再訓練になった人がいましたっけ。

訓練所の生活は、厳しい面はありましたが基本的に大変楽しかったですね。語学以外にも、「禅寺で3日間座禅の修行」だの「サーキット・コースで、無免許の人も1日で単車の乗りこなしをマスター」だの、「鶏をシメて、竹の食器でカレーをつくる」だの、「現地人になりきった2泊3日の観光旅行。もちろん日本語厳禁」だの、およそ普通の生活をしていては体験できないことを経験させていただき、とても有意義でした。また、国の全面的な保証があるとはいえ、見知らぬ途上国での2年間の生活に、やはり「死ぬかもしれない」という不安が5%くらいは(^_^);あったものです(今はみんなが海外旅行に行く時代で、そんなことを考える人はあまりいないでしょうね)。そういったある種の悲壮感と責任感を持った訓練生同士は、お互いに一生の友と思えるくらい仲良くなりました。

そういった訓練も無事終了し、身辺整理を終えた私は、期待と不安を抱えて機中の人となったのでありました。